授業の終着点はどこ?

Two young girls at the piano 学校

前回お話したとおり、学校の授業は教科書をもとに行われ、その教科書は学習指導要領に書かれた内容に沿って作られています。これによって日本全国の子供たちに同じ「学び」がもたらされるように思いますがそうはなりません。なぜなら同じ教科書を使っても、授業のやり方によってその学びの質が変わるからです。

学びの質とはなんでしょうか。学びの質を語るためには、そもそも「学びとは何か」という本質的な話を整理する必要があります。「学びとは何か」という話は込み入って長い話になるので別の機会にお話しするとして、ここではまず授業にはその時間ごとの目標があり、その目標を達成するのが授業ということをおさえておきたいと思います。

小学校・中学校の頃、先生が授業のはじめに「めあて」や「かだい」などの言葉を書いていたのを覚えている人はいますか?あれがその時間に達成、解決すべき目標です。授業はその目標に向かってすすめられ、その目標を達成して授業は終了、という形をとっています。

授業は目標を達成するためのもの

これから少し授業のコツの話をします。自分は先生じゃないしと思う人もいるかもしれませんが、授業のコツはそのまま実生活での子育てのコツにつながるので少しお付き合いください。

さて、教科書には教師用指導書というものがあります。子供が持っている教科書に色々な注釈が書かれている本です。また小学校では授業案とよばれるものを作ることも多いです。小学校は学級担任制がほとんどなので、同じ学年で授業の内容にブレがでないように「この教科のこの単元ではこのように授業をしよう」ということを学年の先生同士で共有する目的もあります。

この授業案には、この単元の目標はこれです、というようなことが書いてあります。みなさん朝顔を育てた覚えがあると思いますが、朝顔の授業案には例えばこのような目標が書かれています。

『アサガオを育てる活動を通して、日々の変化から成長していることや生命をもっていることを感じ取り、アサガオの立場に立ちながら親しみをもって世話をすることができるようにする。』

この目標に書かれていることの意味はわかると思います。しかし、この目標を達成できたかどうかを確認するにはどうしたらいいでしょうか。それぞれの子供たちが「確かに朝顔が生命を持っていることを感じ取っている」「朝顔に親しみをもって世話をしている」と判断できるでしょうか。

多くの場合、この目標を達成できるように、授業案の中にはこのような活動をさせようとか、こんなプリントを用意して書かせようとか書かれています。その通りにやった授業は目標を達成できたように見えて終わります。

しかし本当に各子供たちがこの目標を達成できているかはわかりません。もちろんどんどん突き詰めていけば最終的には本人にしか(もっと突き詰めると本人にも)その目標を達成できているかわからないのです。授業をする、目標を見る、最後に感想を書くという流れに慣れてくると、子供たちはこの授業ではこのように感想を書けば褒められて終わるな、というように授業をこなすテクニックとしてよい感想を書く技術を身に着ける子もいます。そのように授業をこなすテクニックによってそのような感想を書いたのか、本当にその学びを得たのかをどのようにすれば知ることができるのでしょう。

良い学びのためには「問いかけ」がカギ

学びを得たかを知る方法もさまざまなやり方があり、それだけで本ができるほど多岐にわたるのですが、基本は子供に対しての問いかけをうまく使うことです。尋ねられて、本人も考え、その答えでどのくらい理解しているということが本人も指導者もわかります。

問いかけはとても大切な学びのテクニックなのですが、問いかけが下手な教育者の問いかけを受け続けた子供は、いつしか問いかけというものを「問いかけられるのはまちがっているからだ。すぐに訂正しなければ」とか「問いかけは責められているんだ。謝らなければ」と問いかけに恐怖を感じてしまっている子供もいます。なぜそうなるのでしょうか。

次はなぜ子供は問いかけが怖くなるか、について話をすすめていきたいと思います。

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